これでは英語が話せない!学校教育での英語指導の問題点

英語

最近、英会話について投稿することが多いのだが、今回は学校教育現場での英語教育の問題点について投稿したい。

必然的に英語教育以外にも学校教育全般に話が及ぶだろうが、特に学校に通っているお子さんを持っている方々に読んでいただければと思う。

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文法の説明がない

英語を書く場合にもも話す場合にも、文法は絶対に必要だ。

私の投稿では繰り返し申し上げているところである。

文法とはどのようなルールで単語を並べれば正しい英文になるのかということである。

これを理解している人間は間違った文をつくることはない。

また、その英文が正しいのか誤りなのかを判断できる。

もちろんどのような理由で誤りなのかもわかる。

これが英語を勉強する上でに基礎となるのだ。

英会話の場面でも、高校・大学入試の問題を解く場合においてももちろん必須だ。

ところが、特に最近(というわけでもないが)の学校の英語の授業では、基本的には文法事項の説明はゼロだと言ってよいだろう

私は以前、塾で英語を教えていた経験がある。

特に田舎の公立中学校においては、「主語」とは何か、「動詞」とは何かと言った基本的概念すら備わっていない子供がほとんどである。

いや、むしろこれが普通なのである。

田舎と言っても30万人の人口を持つそれなりには大きな町であるから驚きだ。

当然、そのような子供たちがまともな英文を書けるはずもない。

実際に英作文を書かせてみると、「私は、先生です」=「I  am  a teacher.」すらまともに書けない。

多くの中学生がこんな状態だ。進学校ではない高校に在籍している高校生も実質は同じ状況だろう。

この場合、なぜ「teacher」の前に「a」が必要なのかが重要な文法事項であるが、田舎の公立中学校の英語の授業でこれを身につけるのは至難の技だ。

この極めて初歩的なレベルの文法事項すら身についていないのだから、公立中学に通う中学生が将来につながる英語の知識を身につけているとは到底言えない。

公立中学校の英語の授業では、ほとんどの生徒が英文をつくる力を身につけることができないというのが現状だ。

これでは高校入試でつまずく

それをなんとかクリアできたとしても、難関大学の入試などには全く太刀打ちできない

まして英会話となればなおさらだ。

さらに問題なのが、公立中学校の学力低下は英語に限ったことではないのだ。

数学も社会も授業の質は驚くほど低い。

しつこいようだが田舎へ行けば行くほどひどいのだ。

そんな生徒たちがが高校へ進学するのだから当然、高校のレベルも下がる。

県内1、2位に属する一部のナンバースクールこそその高いレベルを保っているが、その他の公立高校の授業のレベルは下がるばかりだ

一方で、私立高校はしっかりとした結果を出しているのも注目すべき点だ。

一部のナンバースクールと私立高校のみが質の高い授業を行い、その他の一般の公立高校は授業と言えないほどの低レベルな授業をしているということだ。

これではとてつもなく大きな教育格差が生じてしまう

先述の「I am a teacher.」を書けないような中学生たちは全く基礎が身についていないということに他ならない。

その時点で難関大学に合格することはできないし、将来自ら勉強して自らの能力を高めるようなことはできないと言わざるを得ない。

英語を勉強する意義がわからない

私が現在の学校の英語教育の最大の問題点だと思うことは、「何のために英語を勉強するのか」ということを生徒が理解できない仕組みになっていることである。

その原因は定期テスト内申書だ。

今の学校の仕組みでは、生徒は絶えず「成績」を気にしなければならない。

テストをすれば嫌でもその順位や点数が発表されるし、それらの結果をもとに自身への評価が下される

さらには「内申書」がつくられ、高校入試の合否に影響を与える。

この仕組みでは、生徒は定期テストでよい点数を取ることと、成績表でよい評価を得ることしか考えなくなる。

生徒たちが何のために英語を勉強するのかといえば、ただただ”成績のため”なのだ。

結果、何の意味もない、むしろかえって非効率な宿題や課題の提出に追われる。

定期試験前には必死にその試験範囲の丸暗記勉強をする。

普段十分な授業が行われないので、定期テストでしかるべきレベルの内容を出題することは困難だ。

よって、教材のワークの内容がそのまま出題される、8割が単純な計算問題などといういい加減なテスト内容になることには必然性がある。

英語に限っていえば、生徒たちにとって本当に必要なことは英文を書いたり、実際に英語を話す力だ

それらを身につけるためにこそ、英語を勉強すべきである。

しかし、学校の授業は全くそれに対応できていないし、それとは全く違うところで生徒たちの成績が決められてしまう

そのような環境で学校生活を送っている生徒が、実力試験や模擬試験を受けると結果は激変することが多い。

小手先のごまかしで高得点が取れる定期試験とはわけが違うのだ。

定期テストの順位は1番でも、実力試験では散々な結果というケースも珍しくない

私の塾では、テストを意識するなら本当の実力が試される実力試験や模擬試験を意識しろと指導してきた。

そのために、普段から高いレベルでの授業を実践していたし、厳しく指導していた。

その成果として、模擬試験を行うたびに英語に関しては県平均を20点ほど上回る結果を出すことができたし、5教科合計では40〜50点ほど県平均を上回っていた。

話を英語に戻すが、今の仕組みではほとんどの生徒が英語を理解するとはこういうことなのだという手応えをつかむことができない

何のために英語を学ぶのかもわからずに、英文を書ける、英語を話せると言った自信や手応えをつかむこともなく、ただただ試験のための丸暗記や評価アップのための無意味な課題の提出に夢中になる。

何のための学校なのだろう。

誰のための学校なのだろう。

誰も英語を話せるようにはならないし、まともなレベルの高校の授業にも対応できない。

定期試験対策に夢中になる前に、田舎の公立中学の定期試験の内容がどれほどレベルが低いのかを考えるべきだ。

先述の通り、数学はほとんど計算問題、英語もワーク丸写し、こんなケースも珍しくない。

そもそも公立中学の定期試験で高得点を取ろうが、大したことはない。

そのレベル自体が低いのだ。

学校の定期試験ではいつも90点以上という生徒が途中から入塾してくることも多かった。

しかし、いざ彼らの英語の能力をチェックしてみると、完璧な英作文ができる生徒などまずいない。

全員が文法的なミスを繰り返し、とんでもない英文を平気で書く。

それでも学校の定期試験では高得点を取ることができるのだ。

中学、高校で英語を習っていながらなぜ我々がまともな英文を書けないのか、英語を話せないのか。

その原因はここにある。

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親が現状を理解できない

これまた大きな問題だが、親がこの教育現場のレベル低下の現状を認識できていないのだ。

学校に子供を任せておけば大丈夫と考えている親がまだ多数いる。

何よりも、田舎に来ると親自身がまともな勉強をしたことがないと言ったケースが多い。

もちろん、大学など行かなくても生活に困らなかった時代もあったわけだし、以前の産業形態を考えてもそれを責めるべきことだはないが。

一方、「be」動詞の使い方もまともに習得させることができないような学校現場の状況は、正しい英語を勉強したことのある親はにとっては許し難いものだろう。

学校にもっとしっかりしろと文句を言いに行ってもよいほどだ。

ところが実際はそうはならない。

親自身がことの重大さに気づいていないというのが実態だ。

親としては子供の成績を痛く心配する。

当然といえば当然なのだが、その結果試験対策や課題提出を応援する。

ところが、学校から出される課題のほとんどは意味のないものだ。

そもそもまともな授業を行わない学校の出す宿題に意味があるはずがない。

田舎の公立中学の低レベルな定期試験の結果など、子供達の将来を保証する何ものにもなり得ない。

それらがかえって生徒たちの理解を妨げ、生徒たちに悪影響を与える割合の方が大きいとも知らずに。

この負のスパイラルこそ最も大きな問題点だと思う。

これ自体がいいことかどうかはわからないが、今では入社試験の時に語学能力が試される

社内公用語が英語の企業もある

これらのことを考えれば、親としてはこの辺りを意識して子供達に今を過ごさせる必要があるだろう。

英語教育に限って言えば、適当に答えを選べば4分の1の確率で正解になる選択問題など無視して、完璧な英作文を書いたり、それを話したりできるように子供を導くべきだ。

終わりに

現在の学校教育では、子供たちの将来にとって必要な力を付けさせることはできないことはあきらだ。

子供達に最も影響力を持つのは当然ながら親なのだから、彼らが正しい判断をし、子供達の将来のためにはどのような力をつけさせることが必要なのかしっかり考え行動することが何よりも大切だと思う。

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